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アバノの再会 [rana]

怒涛のような10月が終わって、ほっと一息。
ただ、肉体的にハードな状態は、心の疼きを無視できるから辛くもなんともない。
逆に、ぽっかり突然時間があいてしまう方が怖くって。


そんな時、タイミングよく出会ったメッセージ。
久々の曾野綾子。




「あそこに、一人一人修道士が住んでいて、誰とも喋らずに、一生を過ごしたんです。まずいのって、その合間にてさぎょうをして、次第に神の存在と一致する実感を得て、満たされて来たんですね」  シスター・内田はそう説明した。 ~ 中略  かって、十六世紀、十七世紀にチェルトーサで暮らした数多くの修道士たちは、どんな理由で修道士になったのかは知りませんが、およそ現代の人が理解しにくいような禁欲的な生活を自ら選びました。 ~ 中略  戸張先生、私にはとてもチェルトーサの修道院で暮らす力はありません。完全な沈黙と厳しい孤独、質素な食事にも耐えられそうにありません。しかし私に痛いほどわかるのは、かってチェルトーサにいた人々は、その寂しさ故に、神と人とを深く深く、ほとんど恋焦がれるほど愛しただろうということです。ことに人を愛するには、愛する人と遠くにいることが必要だという矛盾です。人は近くにいるから、絶望し、最後には憎み合うことさえあるのです。私にわかっているのは、そんな形で、大切な愛を失いたくないということです。



アバノの再会.jpg


『アバノの再会』(朝日新聞社発行)より






焦る気持ちや辛い気持ちに押しつぶされそうになった時だったから、突き刺さってきた。
私にとっては自分のやったことへの罰。因果応報。
距離を置いて愛することも、今の私にとって必要なのだということ教えられた気がした。
それならば、その間、ちゃんと立ち尽くし、優しくなって、善いことを意識して、
そして、祈ろうと思った。


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